Dimanche 31 juillet 2005
フランスの第一歩はパリを素通りグルノーブルから始まりました。冬のオリンピックでも知られていますが山に囲まれた盆地です。1月ほど後に海に憧れ大西洋岸に旅立ちました。現在住むラロシェルよりはずっと北のブレターニュですが。

どこのレストランにも fruits de mer直訳すると海の果物.何だろうかと初めは判りませんでした。fruit とはフランス語で果物。その他に何かを仕上げた時の成果;又はは生み出したものと色々言葉の後に控えているニュアンスは幅広いものです。結論として海の果物とは海の生んでくれた素晴らしいものことなのでしょう。生牡蠣海老 その他の貝がきれいに寄せられています。

 今日この頃毛蟹の季節で出回っています。食べたいなと思うのですが我が家では私の悪い躾で今まで全部きれいに身ほごし食べるだけという状態で賞味してもらったので準備する方の私はたいそうな仕事。食べたい思いに駆られても買う事渋ること多い日々でした。今朝の市場では抑えられなく購入。家族にフランス風に皆自分で食べましょうとレモンを浮かべたお水の入ったボールを横に任せました・。文句は出ませんが(?)いつものようではないのでお味は別として翌日また食べたいもののようではありませんでした。でも次女は私のように甲羅に残るおみそに醤油をかけて白いご飯と食べるのが大好きです。私も甲羅を食べられるのなら後はいらない方なのです。

私は千葉市に生まれました。当時は埋立地も無く東京湾もまだ汚染されていなく小学校は海に近くよく潮干狩りに行きました。

我が家で蟹やらシャコを買うときはバケツ単位で購入。一日目は母は家族(祖父 祖母 父 私達3人の子供達)にきれいに食べるのみの状態で美しく用意してくれました。翌日の生姜を効かせて煮たシャコはく温かくても冷たくてもとても美味しいものでした。

現在同様に干満の激しい 大西洋と異なってはいますがそれにまだ牡蠣も海老もあさりも取れる海の傍に住んでいます。

今日までのことを思うと私は私の生まれた所に戻って来た感です。

Samedi 30 juillet 2005

 今朝早くマルシェに出かけピンピンの鰯を買って来ました。フランスは市場は朝しか開いていないので食通の働いている奥様は仕事前に買い物をされる方あります。8時からでも買い物出来ます。
1987年にパリを離れ3年間ラロシェルの街の中で4回引越ししながら暮らしました。午後は何も無い静かな市場の前に鰯を売るおばさんが4時頃から小さなスタンドを設けパラソルの下でにこやかに待っています。幼稚園の長女を迎えにいきながら次女をバギーで散歩。 目と目が合ってとても食べたい衝動に駆られます。本当はもう今夜の献立が決まっていたのですが。いいや。我が家では私が本日の献立と皆に宣言。家族皆フランス料理と思ってそのイメージを描き準備をしていたところ日本料理だったり中華だったりアラブ料理あるいはタイ インドネシア ドイツまたはイタリー料理 私の気分によって変わってしまう事に慣れています。私がご飯が食べたい?パスタが?それともとおじゃが?全然食べたいものが判らない時 皆の意見がパスタに決まると出てくるのはご飯中心の料理だったりの気まぐれ料理人。今ではママ好きなものにしてどうせわからないのだからと皆に突っ張られてしまいます。でも食べたくないものを作るの辛いと思いませんか?
鰯売りのおばさん。さんせる Sans sel?アヴェックAvec?生のものと荒塩に漬けたものです。
当地は新鮮なバターの地。生は塩焼き 塩漬けのものは塩を洗い落としてそのままどちらもレモンを絞ってパンとバターで食べます。でも私は全く日本式ではないのですが塩焼きにして生姜 レモン お醤油でたべるのが好みです。漬けたものは三枚におろして大蒜 エシャロット 生姜 レモン シブレット オリーブオイルでたたき風サラダを作ることもあります。
鰯売りのおばさんの御自慢は私 ジャンギャバン
(フランスの古い大俳優)と共演したの。私の周りを何度も跳び歩いたのよ。・・・
朝市の立つ日に彼が彼女のスタンドの周りをぐるっと回って走り去るシーンがあったのだそうです。早く引退してしまってつい先ごろ街の中で信じられないくらいシックな装いでショッピング楽しんでいました。元は質素な作りだったのでお化粧と共に若返りとてもうれしく思いました。

Jeudi 28 juillet 2005

 私は割と?早起きな方です。季節による鳥のさえずりでほとんど正確な時間がわかるようになりました。起きなくてはならないときはしぶしぶ何分もベットにしがみ付き何も起きなくても良いときには飛び出します。6時から6時半起床です。早起きといったら笑われるかも知れませんね?コーヒーを用意し まずベランダを開き海を眺めに庭に降ります。庭の前は大西洋。いつ見てもいつ見ても海は別の顔です。
朝食をその片作けを終え私がいそいそ身支度をしていると朝のお散歩?と主人の言葉。猫が朝近所を一回りするごとくに。・機嫌の良いときはやさしいからかい調でその反対のときは皮肉な響きで。構いません。朝外に出て行かないと息が詰まってしまいます。朝早くあいているのはマルシェ 朝市です。日常の市場の他にラロシェルは水土 隣町には火金と近郊のお百姓さんの集まる路上の大きな市が立ちます。幸せな匂いで一杯。早
18年も当地に住む私 皆知った顔の人ばかり。16歳ぐらいだった売っている林檎のように落ちそうな赤いほっぺたの少年は髭ずらの立派な男性となり奥さんとお母さんといまだに10種類ほどもある林檎を売り続けています。
今日は丸いズッキーニを求めました。最近売られるようになったものです。選んでいる私を見ながら 食べられるの?と質問する奥さんがあります。お百姓さんは私の顔にじっと目を集中します。お肉のファルシーにしてもいいし中身をエシャロット大蒜マッシュルームバターとオリーブオイル半々で炒め詰め直し卸チーズでオーブンで焼いてもいいし鮭缶を使って生姜とガランマサラのココナツミルクでエキゾチックに蒸し焼きにしても美味しいですよ。周りにいる人たちは驚きお百姓さんは奥さんを見ながらママ ママ早くノートしなさい。とせわします。
初めてのことではありません。このごろ新しい野菜が出てきました。作っているお百姓さん方々も食べ方ご存知ない方多いのです。私知らないものありますが好奇心強く購入こうやって食べたら美味しいのではないかとあまり失敗せずに今日まで来ました。今日のお料理は普通の豚肉のファルシー。でも異なるのはエシャロットと大蒜と白ワインとそれに今我が家の庭で美しい白い花で覆われたサリエット(さぽりー)を香料として沢山入れました。妖しげな効果のあるハーブだそうです。本当でしょうか?

Mardi 26 juillet 2005
 アングランの村の中心に1003年に建てられたロマン式の 当時のフランスの教会のごとく防衛のスタイル 素朴な教会があります。 広場の周りにはパン屋さん お肉屋さん お惣菜やさん 小さなスーパー カフェ兼タバコ屋さん 新聞雑誌のお店 ピザ屋さん クレープやさん 後は自動車講習の事務所 美容院 幼稚園 小学校 市庁(村でも市庁と言います) 郵便局。 フランスの普通の小さい村に必要なお店は全部そろっています。そう 郵便局の前に最近有機栽培の野菜お肉との注文販売に変わりつつのお店があります。(私の村での行きつけのお店です。)御夫妻2人とも私と同じ年齢。日曜の午後しか休まずです。私と同じ時期に移って着ました。パリで大きな商業をしていて破産2つあった家も無くしゼロ からの再出発。御主人は早朝から遅くまでそれでもいつもにこやかです。奥さんはモード関係に進んだらと思うほどのセンスきれいな方でいつも御自分で仕立てた洋服に包まれています。私と気があって長話をすることもまれではありません。
お間違えの無いように。私はおしゃべりには遠い性格です・・・。 
パン屋さんの横に土日週末の朝 小型トラックでナターシャが牡蠣を売りに来ます。すごく食べたい衝動のとき彼女のチャーミングに負けるときと 結論として我が家では毎週週末には生牡蠣のオードブルで食事が始まります。R の月だけと言うのは嘘。一年を通して美味しく食べられます。夏場は繁殖期なので少々お乳を持ちこってり加減で嫌いな方もありますが私は普段もむっちりした牡蠣が好みなので夏場の牡蠣 とても美味しいと思います。エシャロットを入れたワインビネガーで召し上がる方もありますが私に言わせればそれは下戸。 社交ダンスのスカート姿で現れた牡蠣にレモンをキュート絞りダンスの始まりスカートが揺れ動いた時いただくのが最高です。(残酷でしょうか?)飲み込まないで下さい。少々噛むと口の中で甘みが広がります。私は15年間ナターシャのお店で牡蠣を求めています。(ラロシェルに着いた当初は私の性格の事もちろん色々試してみました。が 落ち着きました。)
彼女の牡蠣はオレロン島近くで採れたものです。レ島のものより塩分が少ないです。時折隣町の市で私の好みをよく知っているひげの素敵な牡蠣業者に今日はレ島の野生の牡蠣があるよと試食を勧められ購入してしまうことあります。ナターシャ 私の不貞御免なさい
ナターシャは今では2人のお母さん もう何年も姿を見せないようになりました。でもセリーヌが受け継ぎそれまたチャーミングな娘さんです。今ムールが旬で牡蠣を購入ししないときはムール貝にします。
毎週生牡蠣を食べているなんてきっと贅沢な話ですよね??
Lundi 25 juillet 2005

ピノキオの物語。
ピノキオを悪の道に誘い込む悪賢いキツネ御存知でしょうか?グラン コカンと言います。
マルセル3姉妹を離れて20歩ぐらいすると突然大きな人物が私達親子を杖を付きながらめざしてやってきました。はっとするくらいの大きな顔 顔の作りも目も鼻も口も
それに伴って手も足も みんなみんな大きい 。とてもとてもうそのように大きな靴。190cm程もあると思われる大きな上背を傾けてドスの効いた低音でお べっかを使うように 御機嫌よう と言うのです。口が裂けてそれはまた大きく黄色がかった歯が現れ 山高帽の下からはみ出した耳は大きく尖がっています.次女は私の後ろに隠れ私の上着を引っ張りながらママ ママ お耳の中に毛が生えているよ。 どうして あんなにお耳が尖がっているの と囁きます。グラン コカン?とだんだん激しく私の上着はのどもとまであがってきました。。本当にピノキオの世界に入り込 んだのごとくです。
ジレ爺さん 当時75歳くらいでしょうか?ダニエルの名前でやはり村では知られていました。この方も5年くらいのお付き合いの後に亡くなられました。  
やはり父親の代からの当時引退の漁師で大きな荒れ果てた土地を持ち葡萄を植えアルコールを作っていたようです。本当は御法度なんだと赤い鼻をぴくぴくさせながら語ります。
村に住むようになってから村の幼稚園と小学校に娘達をいれました。幼稚園は保護者が直接先生に委ねなければいけないのです。着いたばかり 中国人 と目を 引きつった仕草でからかわれることあり2人ともママ給食は嫌と言われ専業主婦の弱みでお昼迎えに送りに行く毎日でした。私達の時間帯を心得ているのですよ ね。
ジレ爺さんの前に郵便やさんの自転車が泊まっているときはしめたもの 2人でお酒を飲みながらかなりの時間をかけて話し合っている証拠。ちなみに1番初め に遭遇した郵便配達の赤ら顔のお兄さんは我が家にたどり着く時は熟れたトマトのごとくのことほとんどというぐらいいつもでした。村では皆知り合い同士 戸 を叩き親切に手渡し誘われて一杯のアペリティフが重なると???。この地区は 年配の方が多く皆さん新しい情報待っています。それに村では長寿の方々多く さびしいのでしょう。これも社交でしょう。配達人も色々人々のエピソードをたくさん知っています。
私達は知らぬ遠くからきたもの達。興味深い対象でしょうね。餌食にならないように心得構えて受身に聞いて色々村の歴史勉強できました。隣の奥さんに随分色々な事
知っているのねと言われまたその彼女も色々なアングランの昔のことを語ってくれました。
どうしてこの道を通るの?と詰問しないで下さい。この道を避けるとゆうに4倍の遠回りです。私は赤頭巾ちゃんのように森の中を楽しんで散策するにはあまり時間の余裕はありませんでした。朝昼夕方3回学校と家の往復ですよ。いくら専業主婦でもやることは沢山あるのですから。
ジレ爺さんは私達に初めての手と足と小さい網をつかって沿岸での貝やら海老等の採り方の手ほどきをしてくれた方です。ちなみに9月は海老採り最高の時期です。
ジレ爺さん 私が捕まらないときには庭で収穫したアーモンドやら我が家の前の海で雲丹を取って押しかけておしゃべりに来ました。雲丹はこちらではあまり食 べません。日本と異なり水っぽくてあまり美味しくはありませんでしたが市場で求めても同じようなものでした。私が雲丹は好物といったせいでしょう。年が経 ちもう何年も雲丹など市場で見かけたことありません。消滅してしまったのでしょうか?


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