Mercredi 7 septembre 2005

5日ほど前から大学時代の友達。同じ学部でもなく短い時間しか共に過ごしたことないのですがお互い何か惹かれた友情関係の彼女遊びに来てくれました。彼女今では立派な六大学の教授。30年ほど音沙汰なくひょっとのことから通信取れこの土地まで。二人で一日中飽きることなくお喋りしています。田舎生活 自転車での散歩。今日は海老釣りにいつたのですが収穫なし。泥地の海で長靴がはまり込む事の繰り返しで可笑しいやら苦笑やら?子供の如く。
10年程前になるでしょうか。主人の仕事の関係でモンゴル人の給費生のお世話しました。Tsogtoo(   ツオクト) なかなか発音できなくトクトーと言ったりして子供達に随分からかわれたのですが。
彼初めて海を目にした時、これが大西洋。これが海。感嘆。絶句。一瞬 時の止まってしまった後 涙がはらはらと。其のきらめき落ちるしずくのみが唯一 時の止まってはいない事の証言。庭に積まれた石の塊を見ても思考深く腕を組み合わせながらじっと観察。溜息をつきながら又感動。モンゴルは高地 海はもちろん何もかも新世界。其の発見に一つ一つ酔っていました。他の3人の給費女子学生を伴い シベリア鉄道で3週間程費やして大陸横断。長い旅。彼女らはそれぞれフランスの異なった地方へと分散の後 彼もそれはそれは大きな2m程の長さもあるリュックを抱えて我が家にたどりつきました。
後は小さな手荷物。学校が始まり朝発ち夕方帰宅ですが話してみると昼食もせずバス代も出せなく歩いて帰宅の事判り翌日からは自転車で行くように お弁当も毎日持たせて家族の一員での生活始まりました。初めて主人が家の前の海に連れて行き水泳の手ほどきをした時モンゴル高原でさっそうと乗馬を楽しむ彼がおびえた子供の如く震えていたのが1ヵ月後には娘の雪と兄妹の如く楽しんで泳ぐようになりました。滞在の日が経つうちに彼の部屋がとてもきつい臭いするようになりそれが彼のリュックである事に気が付き でも中見る事もせずのある日。手の掌に何か乗せて私に食べてみる?と言います。部屋と同じ臭いのもの。乾パンと雌馬のお乳から作った固く凝固した凍り豆腐のような姿のチーズ。独特の味とてもリッチな物で食べずらいのですが おいしいわね と返事。
彼いわくフランス価格価値の異なる国でとにかく食べる物がなくてはとの思いで母親が持たせたようです。小さな手荷物だけが彼の見回り品。我が家で何も不自由なく食べ何の支出の心配のない事身にとって悟ったある日私に其の大きな袋の中身を捨ててくれる様に頼みました。もらった給費の額フランスでは微々なものでもモンゴルでの生活では巨額なもの。後の生活のために倹約との思いです。今長女が中国での生活語り今になって其の思い身に包まされます。
2月経過夏の終わり3人の女性のうちの1人が泊まりに来て最後の夏の日々を私たちと過ごしその後他の女性達とパリで集合故郷に発って行きました。別れの前に私に素敵なテーブルクロス差し出しながら。彼のお母さんが貴方の本当にお世話になった方に贈りなさいと託した作品。彼女3年掛けて刺繍したそうです。とてももったいなくて時々誰にもよごされない機会にテ-ブルにかけ心温まる時間過ごしています。
皆大学の先生を目指しての研修でした。現在皆きっと偉い大学教授なのでしょう。始めの2 3年は定期的な手紙あったのですが今では。でもまたひょっとして再会することあるのではないかと強く感じています。。
 
Jeudi 18 août 2005
 ラロシェルの有名な二つの塔に守られた旧港の延長に 干満の激しい港にいつでも水確保の約束するBassin à flot が続いています。面しているのはバランという波止場通り。その後ろの平行線100m程の短い通りが私たちのラロシェルに着いて3番目のアパルトマンのあったサンニコラ通りです。昔は海で働く男達が港に着きご想像できるような界隈。でも御存知ですか?マルセイユにしてもどこのフランスの町でもこの様に余り環境のよくなかった地区は色々センスのある人たちの手によって流行最先端の地区と変わりつつあります。サンニコラ街も例外なく。アンチークのお店とエキゾッチクな若い人の欲しいような しゃれた 好みのよい物を置ているお店ばかりです。私達は道の半ばのアパルトマンの二階に。前にはイギリスでフランス語を学習する時の教科書に掲載有名なパン屋さん。テキストにラロシェルのサンニコラ街と書いてあるので教科書を手に良く観光客の人の立ち止まる事。マダムドーメは大きな黒い瞳のスペインの美女という面影のある素敵なパトロン。作るパンもPains de marin 。水夫のパン。としっかり良く生地の働いた日がたっても美味しく食べられるパリのポワランのような 一寸エラスッチクの歯ごたえのあるパン焼いていました。隣はお肉屋さん。ムッシュー プリユー。やはり船で立つ人たちのお惣菜仕込んだり 港に戻ってきた来た船までお食事運んだり。お間違えのないように。現在ヨットを始め色々な船は豪勢な家のお値段です。高級お惣菜屋さんの仕事しています。
そこで忘れてはいけないのは幸せな浮浪者。小柄でも大きな丸い顔は朝からトマト色。朝二階のバルコンの窓開くと目と目があい いつもギター片手でオーソーレミーヨとかサンタルーチアとかバルコンの下に歩み寄りながら歌い出します。この地区の方達 太っ腹の人多く彼は朝昼夜とパン屋さんお肉屋さんに美味しいお食事提供されていました。彼 定期的にしばらくの間消えてしまいます。市の福祉政策で彼のアルコール度が高くなると施設に保護隔離その後それは身奇麗に健康に戻ってきました。
もう一人の危ない浮浪者怖い人も同じ地域に。元ボクサーという鼻がひん曲がった大男。遠くからでも酒臭くお金ねだるので遠くに目をすると遠周り。ある日新聞で他の浮浪者たちと波乱の大喧嘩。港に続く運河に落ちての最後だったと読みました。 フランスではS.D.F(Sans domicile fixe)住所のない人たちが特に南仏に下ると沢山道路に座り込んで物乞いしています。どの人も例外なく犬を連れて。犬を飼っていると養う責任のタイトルで逮捕できないのだそうです。
 私 もう一人の名物浮浪者知っています。船員の如く船員帽子にパイプくわえ星の王子様のように黄色の長いマフラーで小柄の体をそれこそ大股で港付近風を切りながらのし回っています。
正気の人ではないですが誰にも迷惑掛けず自分の世界で生きています。彼も幸せな浮浪者でしょう。市場の近くの大きな写真やさんの前通りかかりはっと立ち止まりました。ショーウインドーに大きな彼のポートレートが・。パイプくわえてそれは幸せそうに微笑んでいます。
 
Lundi 15 août 2005
 何年か前 母の日の日曜日の朝ベランダを開けに行くと庭に見慣れない小鳥がいるではないですか。ジッと見つめると恐れ気なくピヨンピヨン家の中に入ってきます。抑えたら逃げもしない?ほっぺたに赤に近いオレンジの日の丸印。愛嬌の有る顔。近所から逃げてきたのかな?とガレージを掻き回し何となく籠になるようなものを見つけて預かる事にしました。いくつか拾い物との張り紙 村のお店に出したのですが誰からも問い合わせ無いので何日か後に母の日のプレゼントと思い本格的に飼うよう籠等購入しました。マンダリンと言うオーストラリア産の鳥ということ調べ 余り動物飼う習慣はなかったのですが幼い頃カナリヤはいつも飼っていたので。小鳥を飼うの何も仕事ない様で籠の掃除等結構時間懸かります。餌が籠の外に飛び散らかるのです。戸外は猫の心配があるしベランダに。でもその愛嬌に魅惑。何日かたって私の性格の如く一人では可愛そうと思い日の丸印のない雌購入しカップル構成。平和な日続きました。ある日いつも餌を買うお店で雌一羽プレゼントとの事。別に断る理由もないし。と3匹一緒にしてから私の悩みの始まり。全く怖ろしい鳴き声で雌同士の喧嘩始まるではないですか。激しい戦い。突きあって。頭の羽毛など逆立って。雄鳥は籠の隅に小さくなって。どうしよう。考え込み二つ目の鳥籠購入し一匹の雌を隔離しました。離れた場所においてお互い同士見えないはずなのに一日中まるで人間の争いのよう(あんたのせいよ。何いってんのよ。あんたなんかいなくなってしまえばいい。)の如く戦い合う声です。嘘ではなく狂気の叫び。すでにもう嫌気がさしているし主人は絶対それも絶対の反対で二匹目の雄鳥購入する事もできず一日置きに雌を入れ替えることも考え実行してみました。皆あきれて。ママーーー。それもまた全く良い政策ではありませんでしたね。ある日一つの籠を掃除するため三匹一緒にしている間に若い雌は古い雌突き殺してしまいました。全く嫌(それを過ぎて見たくも無い嫌悪感)になってどうしよう。愛情もないのにどうしよう。見捨てる事も出来ないし と思っていた時 鳥の好きな御近所の方に欲しいといわれ 救われました。
鳥の世界も人間同様同じですね。polygamie(一夫多妻制)はうまくはいかないようです。その後引き取ってくださった方から沢山小鳥が生まれたとの報告。うまく導く事 適応な政策が必要なのでしょう。庭を訪れる季節の野鳥観察する事大好き。パンくずやら鶏の油やら穀類等特に冬場には撒き散らします。でも籠の中の鳥はもうご免。私も籠に閉じこまれるのはご免。自分自身わが子達さえコントロールできているのかもどうか・?
戦争下に生まれそして育ってその状態しか知らない人々のこと思います。価値感異なるだろうな。と。難しい問題。 何と締め括ってよいのか余り重大過ぎて判りません。
 
Dimanche 14 août 2005
長い事日本を離れてもいつも同じ思いです。私の家族の中でもその被害に遭遇悲しく消えてしまった人々もいます。
フランスはカトリックの祭日です。お百性さんたちが日本でのお米のような大切な麦収穫を終えホット。あらゆる村で実りのお祭り 人々が集まりダンスを中心の夏の夜が展開します。農業人口の高かったフランスの国での一年を通し唯一心から楽しめるお祭りだったそうです。本日14日アングランの村でも ダンス始まりそうです。北の風に乗って流行後れのセンチメンタルな音楽流れてきました。明日も続くでしょう。
 
Samedi 13 août 2005


 春の訪れ 気候がよくなり皆 庭仕事にと家から飛び出す頃 フランス人の機嫌は彷彿。会話はもうすぐバカンス のことばかり。と昔だったら私もこの用に文章書き始めていたでしょう。
先ごろでは一月も長くバカンスにたつ人々少なくなりました。多くのフランス人はそれより週末利用の短い旅とか一週間単位での旅とか 公共の教育関係の人しか長い休暇はないし経済状況も異なり以前とは変わってきました。
家から自転車で
10分程の南の隣町はフランスの海辺の町のごとく1900年台より休息地として発展。元はここと同じように泥地の海岸だったのですがたいそうな砂を運んで大きな海水浴場となりました。
ラロシェルにいくより近いので私の良く通う市場のある町です。日常の市の他に火曜金曜は大きなプラタナスが両側に茂ったメイン道路に食べ物だけではなく衣料アクセサリー 靴 その他こまごましたものを売る露天が進出。 ことに夏場はバカンスで訪づれる人々で町の人口は膨れあがっているので賑わって楽しいものです。観光客目当てのところもあって高いなーと思うものもあるので注意しましょう。観光客イギリス ドイツ人等多いです。南仏より物価低くそれにこの地方はフランスで一年を通して晴れた日が一番多いという評価がありますので。
その中御百姓さんたちはいつもと同じ。値段も変わらず。人ごみで一杯の
11時頃になると歩き抜けるにも困難になる通りの中で活き活き働いています。驚くことですがどちらかと個人主義エゴイストのフランス人が 市場では模範生のようにおとなしく礼儀正しく自分の番を待っている事です。moi moi moi (私 私 私)といつものごとくではなく列を作らなくても自分の番を心得 他の人を尊重 その間ユーモアのある会話も飛び交せ奥さん方は(男の方々も)レシピの交換。 売る方々もかなりのジョーク。 市場独特のとても良い雰囲気。今日もついつい沢山のお野菜買ってしまいました。でも  私の料理は平均的なフランス人のお肉と野菜のポーション反対なのですぐ食べ終わってしまいます。野菜のない料理など想像できない私です。家族も同様。帰宅して求めたドジョウインゲンとても柔らかそうで私に微笑みかけているので抵抗できずお昼はシンプルに茹でて温かいうちにお塩と胡椒レモンとバターとオリーブ油少々で食べる事に決めました。先日1週間ほど滞在した義妹が 自転車ツアーに一週間参加した際お料理は有機栽培のお野菜のみのお料理で参加者皆でお手伝い。インゲンは元の法だけを取り除きとがった先端の方はお味も良いのでそのまま残す事習ったそうです。手間も省けるしよい事学んだと思いました。食べるはあっという間ですが準備は長いですものね。昔やさしい義父が滞在の時は沢山沢山インゲン購入しました。それは丁寧に準備してくれました。
それと新婚のころ私のインゲンの茹で方見て 主人わたしは野菜の茹で方しらない人と思ったそうです。日本式に青々一寸硬めに茹でました。今健康的日本的料理の方法皆真似していますが前は私にするとグチャグチャに茹で青い色もないというのがフランス式でしたね。(主人随分後になって告白しました。私が怖いのかしら?)もうひとつ驚いたのグラム単位ではなく家族4人だったら1
kg 程ものインゲン料理する事。ドーンと大きいお皿に山盛りのインゲン出てきて始めは驚きました。今ではもう当たり前のこと。旅行先で外食ばかりとなると早く家に帰って私の料理が食べたいとノイローゼーになります。

 
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