Vendredi 12 août 2005
 忙しく ことに人をお呼びした時の食事の支度をしている時次女の雪が詰問調に現れます。言うこと。ママは他人にばかりお料理教えていて私達(姉妹)なんて何にも料理なんて出来ないのだから。
だんだん語気が強まり涙ながらになる事。時間に迫られかなりいらいらし始めているのですが一呼吸。声を高めること我慢。ママも手が足らないの と一寸考えるためまず答えます。手伝いで終わるはずのない娘の性格心得ているので 時間を置いて ママの代わりにデサート作ってくれる?と全責任委ねるように頼みます。(責任委ねる事はとても大切、お互いの信頼。)
作ろうと予定していたお菓子はあきらめ まず家の中見回し 教えながら私も手を休めずに働く事出来るようにいくつかの材料分量焼き方等全部頭にはいっていてそしていつ作っても美味しいお菓子の中から選び 全部自分で作るのよと。大喜びでエプロン探しお喋りしながら真剣に働き始めます。かなりいいセンスです。泡立てもバッテリーではなく手での泡だての教授。(私もサディックですね?)ママ疲れるねと言うのでシュー生地はもっともっとたいへんなのだからと私脅かします。(近いうちに作らねば。)満たされた彼女はそのあと全部きれいに完璧にボール等 まず指で(彼女一番美味しい瞬間といいます)。 その後洗剤で洗いあげます。テーブルの設定もしてくれます。料理によって又季節によってお皿選んでくれます。私のやり方色々観察してきたのでしょう。デサートの時間になって。 皆に 娘が作ったの と紹介する時の彼女の顔は輝き。自信となります。とても大切な事だと遅ればせながら最近になって思い始めました。
 私 二十歳位まで料理など余りしたことありませんでした。母の料理はとても美味しかったし小さいころ食事の支度する大好きな母の周りで雪のようにお喋りしていたようです。見て味わっていた事。 いつのまにか自然と美味しい料理を作り始めるようになりました。父は有名なお料理屋さんおすし屋さんに行くと折り詰め持ち帰り夜中眠っている私起こし食べてみる様に。祖父も同じく。故郷千葉の安田の鰻はとても美味しいもの。が私は鰻は食べられなくその美味な汁の滲みこんだご飯を朝母に温めてもらい 山椒をぱらぱらで 食べるのが大好きでした。私の又又大好きな祖母は可愛い人。普段は料理などせず。母が留守の日はおろおろ。お魚屋さんにお刺身電話注文配達。お肉屋さんも野菜やさんも。お刺身と 豚肉の生姜焼きキャベッの千切り添え ほうれん草のお浸しに里芋の煮っころがし。いつも同じメニューで出てきました。小さかった私邪魔になったでしょうが手助け。
翌朝はトロのお刺身での朝ご飯。祖父も良く朝から温かいご飯に私が残した鰻を乗せてお茶漬けの記憶あります。
私の祖母 料理余り作るの好きではなかったにも係わらず幼い私の学校からの帰宅を待って庭の夏みかんを丹念に剥き御砂糖をかけて 帰宅時間にはすっかり解けてほどよいシロップに浸かりその冷たいこと。サツマイモをオーブンで焼いたりまたは得意の大学芋のおやつで歓迎。母もカスタードプリン(好評でいつも沢山焼いて人に配っていました。)手作りのおやつしかなかったですね。
 娘達に言います。料理は見て食べるもの。後はセンス 大切なものはすでに頭にも味覚にも蓄積されているのだから自然に出てくるものよ。というと。ブーーーー。不満顔。長女はいつも自炊していたので色々料理できます。始めのころメイルで色々なレシピー送りました・。帰宅すると作るより美味しいもの食べたく私に食べたい物のリスト。 
 魔法のごとく即 すべて私のレシピー習いたい雪。昔より気を長くし 手を出したい思いが動作なる前に抑えて気長にみつもっています。(手を出してはいけません。アドバイスも怒らないように柔らかにそして傍にいてお喋りに答えねばならないということです。なかなか辛抱の要ることです。) 料理教えるという事は作ることとは異なります。習う方も。ことに我 子供達に対しては。学校の先生方の言葉は両親の言葉より重みのある事ご存知でしょう。教える方もun deux trois.習う方もun deux trois 。ダンスの一歩のごとくお互い初心で歩み近づくではないでしょうか?
 食いしん坊で味覚に敏感なので彼女の料理おいしいです。(内緒))。彼女手作りパスタやピザ 手で働く事大好き。喜んで作りたがります。

 フランスで小麦粉の中に手を入れて働いている女性は美しい。という諺あります。 日本でパン作りに係わっているお友達へのメッセージ・。 ブラボー
 
Lundi 8 août 2005
 昔私のすんでいる村も含めてこの地方は塩の産地でした。海辺には塩水の沼地が至るところ。昔塩田として使われていました。

現在どこのスーパーにでも置いてあるお塩は昔はとてもとてもの貴重品。フランスの国内で塩の生産があるのは海辺のみ。それも太陽が十分にある地方に限られたものでフランス国内でも内陸では手に入らず。(日本にも上杉謙信と武田信玄の有名な話がありますよね。)

ラロシェルの繁栄は12世紀にさかのぼり太陽の恵みの産物の塩とワインをその恵みのないイギリス北欧に 港町の地理的背景を活用輸出 商業貿易港として始まりました。塩に関する直接税は当時最も高く重要なもの。現在塩の鉱山よりの大量の生産又はポルトガル等人件費の低い国からの輸入におされそれよりみなお金の入ってくる牡蠣の養殖に切り替えましたがレ島ではいまだに昔なりの天然の塩を生産し続けています。

今朝自転車でアングランの村の元の塩田地帯を一周してきました。今日は東風汗もかくことのない気持ちの良い散歩日和。潮風をかぎ牡蠣の養殖地を横切り目の前にレ島 オレロン島を見渡し牡蠣のジューシイなお味 頭の中横切りましたが昨日食べたばかり。我慢しましよう。

私は土地の生産品びいき。フランスここより北のゲランド産地等有名な塩ありますが私はレ島の塩しか買いません。荒塩も精選塩も真っ白ではない灰色がかった天然のものです。塩の華とは一番洗練されたクリスト化したお塩です。色々使い分けましょう。

特に塩の華はお値段も高いもの最後の仕上げに火を通さないように使うと良いでしょう。

お料理教室のメイベルはドレッシングにはお塩入れず最後に荒塩をぱらぱらサラダの上に振り掛けました。野菜から水が出ないように。がりがりとする大きな荒塩(大きさは均等ではないのです。)にあたって悲鳴上げる人があると彼女にっこりします。平凡均等のお味ではなく性格のあるサラダとなります。彼女の性格のごとく。

昨日マルセルの家の前自転車でとおりいつものごとく捉まってお喋り。我が家の娘達が本当に娘らしくなった事。昔海辺に降りようと彼女が家の脇の細い道を下るとき娘2人が小さなバケツに海水を汲みおおはしゃぎで上ってきたので声を掛けると (私達お塩作るの)との返事。浅いタッパウェアーで天日にさらし確かにできました。2人とも子供のころは家の前の海岸でよく長い時間過ごしました。鋭い音のする警笛を持たせましたがそれでも心配私は庭から観察でした。

Lundi 25 juillet 2005

ピノキオの物語。
ピノキオを悪の道に誘い込む悪賢いキツネ御存知でしょうか?グラン コカンと言います。
マルセル3姉妹を離れて20歩ぐらいすると突然大きな人物が私達親子を杖を付きながらめざしてやってきました。はっとするくらいの大きな顔 顔の作りも目も鼻も口も
それに伴って手も足も みんなみんな大きい 。とてもとてもうそのように大きな靴。190cm程もあると思われる大きな上背を傾けてドスの効いた低音でお べっかを使うように 御機嫌よう と言うのです。口が裂けてそれはまた大きく黄色がかった歯が現れ 山高帽の下からはみ出した耳は大きく尖がっています.次女は私の後ろに隠れ私の上着を引っ張りながらママ ママ お耳の中に毛が生えているよ。 どうして あんなにお耳が尖がっているの と囁きます。グラン コカン?とだんだん激しく私の上着はのどもとまであがってきました。。本当にピノキオの世界に入り込 んだのごとくです。
ジレ爺さん 当時75歳くらいでしょうか?ダニエルの名前でやはり村では知られていました。この方も5年くらいのお付き合いの後に亡くなられました。  
やはり父親の代からの当時引退の漁師で大きな荒れ果てた土地を持ち葡萄を植えアルコールを作っていたようです。本当は御法度なんだと赤い鼻をぴくぴくさせながら語ります。
村に住むようになってから村の幼稚園と小学校に娘達をいれました。幼稚園は保護者が直接先生に委ねなければいけないのです。着いたばかり 中国人 と目を 引きつった仕草でからかわれることあり2人ともママ給食は嫌と言われ専業主婦の弱みでお昼迎えに送りに行く毎日でした。私達の時間帯を心得ているのですよ ね。
ジレ爺さんの前に郵便やさんの自転車が泊まっているときはしめたもの 2人でお酒を飲みながらかなりの時間をかけて話し合っている証拠。ちなみに1番初め に遭遇した郵便配達の赤ら顔のお兄さんは我が家にたどり着く時は熟れたトマトのごとくのことほとんどというぐらいいつもでした。村では皆知り合い同士 戸 を叩き親切に手渡し誘われて一杯のアペリティフが重なると???。この地区は 年配の方が多く皆さん新しい情報待っています。それに村では長寿の方々多く さびしいのでしょう。これも社交でしょう。配達人も色々人々のエピソードをたくさん知っています。
私達は知らぬ遠くからきたもの達。興味深い対象でしょうね。餌食にならないように心得構えて受身に聞いて色々村の歴史勉強できました。隣の奥さんに随分色々な事
知っているのねと言われまたその彼女も色々なアングランの昔のことを語ってくれました。
どうしてこの道を通るの?と詰問しないで下さい。この道を避けるとゆうに4倍の遠回りです。私は赤頭巾ちゃんのように森の中を楽しんで散策するにはあまり時間の余裕はありませんでした。朝昼夕方3回学校と家の往復ですよ。いくら専業主婦でもやることは沢山あるのですから。
ジレ爺さんは私達に初めての手と足と小さい網をつかって沿岸での貝やら海老等の採り方の手ほどきをしてくれた方です。ちなみに9月は海老採り最高の時期です。
ジレ爺さん 私が捕まらないときには庭で収穫したアーモンドやら我が家の前の海で雲丹を取って押しかけておしゃべりに来ました。雲丹はこちらではあまり食 べません。日本と異なり水っぽくてあまり美味しくはありませんでしたが市場で求めても同じようなものでした。私が雲丹は好物といったせいでしょう。年が経 ちもう何年も雲丹など市場で見かけたことありません。消滅してしまったのでしょうか?


Dimanche 24 juillet 2005
 私は大西洋岸ヨットハーバーで知られた港町 ラロシェル La Rochelleより10kmほど南の昔の漁村  今でも村のカテゴリーのアングランAngoulins に住んでいます。1990年に住み着くまではパリ ラロシェルの街の中で車は必要ない生活でした。その延長 当時は車を購入せずよくテクテク歩きました。日本の免許書を書き換えせず無効にしました。最終的にはフランスの免許を取り直したのですが。
ラロシェルの街から戻ったバス停から我が家にいたる道は3姉妹の家で始まります。マルセル、オデット、シモーヌ 皆2歳違い 3人とも同じような家造り 前に少々の庭と後ろに畑地が。この地方では塀が全然その目的を持たないかのように低く出来ています。人々との会話と監視の意味が含まれているのでそうです。春になり天気がよくなり寒くなるまで前を通ると突如マルセルは現れます。マルセルは長女すべてにおいて支配しています。グリルで出来た塀にがっしりした腕を乗せ掛けて(海の仕事で働いた人です)色々おしゃべりが始まります。話は尽きません。この辺の情報通でもちろんゴシップにも通じこの界隈の人間関係 村の過去のこと彼女の過去をまぜながら我が家の娘達のことにも話が移ります。娘たちはまだ8歳と5歳。 とても礼儀正しいと気に入られて彼女達も学校帰りにつかまりかなりおしゃべりをして帰ってきます 。彼女はお父さんが漁夫 彼女は牡蠣の養殖に携わっており会社を設定。私は3人姉妹の株式会社の会長で現在は引退していると説明しました。善意にあふれている人なのですがそれでも私は何も知らずの異国人 怖いので礼儀正しく控えめにそれでも今でも仲良くお付き合いしています。一人息子は20歳でなくなりその上早くから未亡人。このことに触れると涙を流しその後笑顔で終えると言ったら彼女の性格お分かりになるでしょうか?3人姉妹とも皆早くから御主人をなくされました。
やっと会話が終わり何歩か歩くと隣のオデットが出てきます。またまた娘達の話題で会話が始まります。その次は?もちろんシモーヌですよね。当時若い人たちの住んでいない地区で私達異国人と子供達は興味深かったのでしょう。でもそのやさしさは漁村の方言が強さにも係わらず伝わってきました。
現在マルセルは80歳になったでしょうか?いまだにしっかりと杖に頼りながらもいつでも塀越しに誰かと話しています。オデットは亡くなりましたがシモーヌ足が不自由でも家の前のアトリエで金鎚で海から運ばれてきた牡蠣の周りの汚れをトンとたたきながら働いているのを見かけます(蠣の養殖に携わる人はとても大変な仕事だと思います。いつもその仕事振りを目にしているので。)それでも今では車使用の多い私が歩いて散歩したり自転車に乗って通ると杖を突きながらどうしたの車は?問題があるの?と駆け寄ってきます。
車を使用するようになってから初めのころマルセルが杖を振り回しながら遠くから現れるのを目にしました。私と話をするため。車を止められたことが何度もありました。また止められないときには車から微笑んで挨拶をすると後で娘がママ マルセルにママはにこやかでは無いと言われ恥ずかしいと言われ今では大げさ気味のジェチャーで答えています。
娘達は小さいころバカンスで出かけるとマルセルに絵葉書を送っていました。あまり手紙を受け取らない彼女にとって温かいメッセージだったのでしょう。大きくなった娘達に今でも愛情注いでくれています。昔の村の地域では誰でも知っている名物人です。

バス停から私の家まではおよそ350mです。家にたどり着くまでに1時間以上費やしたことまれではなかったです。
本当の話です 。

Samedi 23 juillet 2005

の朝 ほとんど毎日のように私の住む村のパン屋さんに今凝っているSarmentine(サルマンチーヌ)を探しに行きました。7時になるとお店が開き幸せなにおいが漂っています。私が早起きと言うわけでなく皆さん顔を知り合った人達が散歩がてら集合です。フランスでは街はもちろんどんなに小さな村でも必ずパン屋さんはあります。社交場 情報の交換場ですね。朝焼き釜から出たばかりのまだパチパチと音楽を奏でている温かいパンを食べる幸せはフランスだと思いませんか?塩の華が少々加えられている特産の生バターを塗ってコーヒーやカフェオレでの始まりはそれだけでも一日の活動力になります。もちろん自家製のスモモやらイチジクやらのジャムと今旬の当地産のメロンとまた当地産の生ハムを添えて。季節のあふれる果物と朝のテーブルはソロからコンツルエント 日によってはオーケストラになることも我が家ではあります。フランスの朝食はパンとバターとジャムと言われ先ごろでは色々なコンフレーク等のセレアルまたは何も食べずと言う傾向があるのはとても残念なことと思います。
サルマンチーヌは小麦粉の中に胡麻がひっそり隠れてはいっているのです。サルマンとは葡萄の小枝のことです。 美味しいワインを生む葡萄の樹は人間の一生と同じ20歳を超えひとり立ち40歳で熟し本当の魅力的なワインを生む葡萄を生み出します。
Vive la sagesse. 

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