Les 3 soeurs マルセル 3人姉妹

Publié le par Emi Taya

 私は大西洋岸ヨットハーバーで知られた港町 ラロシェル La Rochelleより10kmほど南の昔の漁村  今でも村のカテゴリーのアングランAngoulins に住んでいます。1990年に住み着くまではパリ ラロシェルの街の中で車は必要ない生活でした。その延長 当時は車を購入せずよくテクテク歩きました。日本の免許書を書き換えせず無効にしました。最終的にはフランスの免許を取り直したのですが。
ラロシェルの街から戻ったバス停から我が家にいたる道は3姉妹の家で始まります。マルセル、オデット、シモーヌ 皆2歳違い 3人とも同じような家造り 前に少々の庭と後ろに畑地が。この地方では塀が全然その目的を持たないかのように低く出来ています。人々との会話と監視の意味が含まれているのでそうです。春になり天気がよくなり寒くなるまで前を通ると突如マルセルは現れます。マルセルは長女すべてにおいて支配しています。グリルで出来た塀にがっしりした腕を乗せ掛けて(海の仕事で働いた人です)色々おしゃべりが始まります。話は尽きません。この辺の情報通でもちろんゴシップにも通じこの界隈の人間関係 村の過去のこと彼女の過去をまぜながら我が家の娘達のことにも話が移ります。娘たちはまだ8歳と5歳。 とても礼儀正しいと気に入られて彼女達も学校帰りにつかまりかなりおしゃべりをして帰ってきます 。彼女はお父さんが漁夫 彼女は牡蠣の養殖に携わっており会社を設定。私は3人姉妹の株式会社の会長で現在は引退していると説明しました。善意にあふれている人なのですがそれでも私は何も知らずの異国人 怖いので礼儀正しく控えめにそれでも今でも仲良くお付き合いしています。一人息子は20歳でなくなりその上早くから未亡人。このことに触れると涙を流しその後笑顔で終えると言ったら彼女の性格お分かりになるでしょうか?3人姉妹とも皆早くから御主人をなくされました。
やっと会話が終わり何歩か歩くと隣のオデットが出てきます。またまた娘達の話題で会話が始まります。その次は?もちろんシモーヌですよね。当時若い人たちの住んでいない地区で私達異国人と子供達は興味深かったのでしょう。でもそのやさしさは漁村の方言が強さにも係わらず伝わってきました。
現在マルセルは80歳になったでしょうか?いまだにしっかりと杖に頼りながらもいつでも塀越しに誰かと話しています。オデットは亡くなりましたがシモーヌ足が不自由でも家の前のアトリエで金鎚で海から運ばれてきた牡蠣の周りの汚れをトンとたたきながら働いているのを見かけます(蠣の養殖に携わる人はとても大変な仕事だと思います。いつもその仕事振りを目にしているので。)それでも今では車使用の多い私が歩いて散歩したり自転車に乗って通ると杖を突きながらどうしたの車は?問題があるの?と駆け寄ってきます。
車を使用するようになってから初めのころマルセルが杖を振り回しながら遠くから現れるのを目にしました。私と話をするため。車を止められたことが何度もありました。また止められないときには車から微笑んで挨拶をすると後で娘がママ マルセルにママはにこやかでは無いと言われ恥ずかしいと言われ今では大げさ気味のジェチャーで答えています。
娘達は小さいころバカンスで出かけるとマルセルに絵葉書を送っていました。あまり手紙を受け取らない彼女にとって温かいメッセージだったのでしょう。大きくなった娘達に今でも愛情注いでくれています。昔の村の地域では誰でも知っている名物人です。

バス停から私の家まではおよそ350mです。家にたどり着くまでに1時間以上費やしたことまれではなかったです。
本当の話です 。

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